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囲碁が語源の日常用語

何気なく使っている日常のフレーズ、実は囲碁が語源だった!?
上手・下手(じょうず・へた)
江戸時代に入り、本因坊道策が現在につながる「九段」「八段」「七段」という合理的な段位制を整えました。
それ以前は、九段は「名人」、七段は「上手(じょうず)」と呼ばれていました。
「下手(へた)」という位はなかったため、「上手(じょうず)」と対になって後から生まれたと考えられています。
現代では、対局相手より強い方が「上手(うわて)」、弱い方が「下手(したて)」と呼ばれています。
玄人・素人(くろうと・しろうと)
平安時代には、強い人が黒を持って対局していました(現代とは逆ですね)。
つまり、【強い方が黒】→【黒の人】→【くろうと】→【玄人】。
逆に、【弱い方が白】→【白の人】→【しろうと】→【素人】。
と変遷したようです。
八百長(やおちょう)
明治時代に、長兵衛さんという八百屋がいて、皆から「八百長」と呼ばれていました。
彼には伊勢ノ海五太夫という囲碁仲間がおり、本当は長兵衛さんの方が強かったのですが、八百屋の品物を買ってほしいので、ときどきわざと負けて機嫌をとっていました。
しかし、あるとき本因坊秀元という強い碁打ちと互角の勝負をしたことで、長兵衛さんが本当は強いということが皆にばれてしまいました。
手抜き(てぬき)
一般的に、「手抜き」とは定められた手続きを踏まず、行うべきことを行わないことを指します(例:手抜き工事)。
しかし、囲碁では「まず手抜きから考えろ」という格言があり、盤面全体で一番大事な場所を見極め、価値の高いところに打つことが求められます。
部分にこだわらず、広い視野を持つことが良しとされています。
似たような囲碁の格言に「石音がした方と反対側に打て」というものもあります。
囲碁で「手抜き」は良い意味で使われることが多いです。
序盤・中盤・終盤(じょばん・ちゅうばん・しゅうばん)
「序盤」は「布石」の段階。
「中盤」は「布石」から「大ヨセ」まで。
「終盤」は「大ヨセ」から「終局」まで。
日常で良く使われる言葉なので、説明するまでもないでしょう。
ただ、「盤」には「その上で展開される勝負の情勢」というニュアンスが含まれますので、「序盤戦」「中盤戦」「終盤戦」という日常用語には少し違和感を感じます。
終局(しゅうきょく)
囲碁では、対局者双方が着手を放棄した時、対局が終了します。
この場面を「終局」と言います。
「終局」した後、お互いの陣地を計算(整地)し、どちらが勝っているかを確認します。
対局者のどちらかが投了した場合は、投了した時が「終局」となります。
日常では、「物事の結末がつくこと」という意味で使われます。
結局(けっきょく)
囲碁では、終盤のことを「ヨセ」 と言いますが、平安時代には「結(けち)」と呼ばれていました。
そこから、一局を打ち終えることを「結局(けちきょく)」と言うようになりました。
(現代では「終局」と言います)
日常用語で使う「結局」は、「いろいろの経過を経て落ち着いた最後」「結末」「要するに」「つまり」という意味として使われるようになりました。
大局を見る(たいきょくをみる)
囲碁では「大局を見る」ことを「大局観(たいきょくかん)」と言います。
「大局観」とは「碁盤全体を俯瞰して、情勢や形勢を分析し、方針や作戦を立てる能力」のことです。
日常では「物事の全体のありさまや成り行きを見通して考えること。つまり、目先の小さなことにとらわれず、全体的な状況や成り行きを考慮して判断すること」という意味で使われます。
局面を打開する(きょくめんをだかいする)
囲碁の「局面」とは「形勢」「情勢」のことです。
「打開する」とは「膠着状態や劣勢を挽回するためのきっかけをとなる一手を放つ」ことです。
具体的には「様子見」「打ち込み」「勝負手」などが局面を打開する一手になります。
囲碁では、有利な状況であっても「局面を打開する」場合があります。
日常では「行き詰まっている状況や困難な状況を、手を尽くして切り開き、解決の糸口を見つけ出すこと」という意味で使われます。
白黒をつける(しろくろをつける)
もともとは「対局中に、白と黒、どちらが有利なのかを判断すること」という意味です。
それが「どちらが強いか決着をつけること」となり、日常用語では「物事の真偽や善悪を確かめること」という意味で使われるようになりました。
活路を見いだす・死活問題(かつろをみいだす・しかつもんだい)
囲碁で「活」とは「生きる」ことを意味します。
囲碁の世界では「生死」と言わず「死活」と言います。
日常では、囲碁から由来した「活」には「困難な状況を克服して生き抜くこと」という意味で使われます。
手違い(てちがい)
囲碁では「手順を間違えること」を意味します。
日常では「物事の段取りを間違えること」という意味で使われます。
筋を通す・筋が違う(すじをとおす・すじがちがう)
囲碁では「攻め」や「守り」の急所のことを「カタチ(形)」とか「スジ(筋)」と言います。
日常で「筋」とは「物事の道理」という意味で使われます。
先手を打つ(せんてをうつ)
囲碁では「先手を取る」と言います。
もともと「手」には「打つ」という意味が含まれますので、囲碁用語からすれば「先手を打つ」という表現には違和感があります。
囲碁の「先手」とは「先に打つ権利」のことを指します。
また、「先に打つ権利を行使する」という意味でも使われます。
日常では「起こりそうな事態に備えておくこと」という意味で使われます。
ちなみに、囲碁と将棋では「先手」の意味が異なります。
将棋の「先手」のことを囲碁では「先番」と言います。
後手に回る(ごてにまわる)
囲碁では「後手を引く」と言います。
囲碁の「後手」とは「相手が受ける必要がない手」のことです。
「後手を引く」とは「本来は先手になる場面でミスをして後手になってしまうこと」です。
日常で「後手に回る」とは「相手に先を越され、受け身の立場になること」を意味します。
下手の考え休むに似たり(へたのかんがえやすむににたり)
良いアイデアが浮かばないのに考え続けることは、時間を無駄にするだけで、何の効果もないことです。
直感を信じ、迅速な決断を下すことも、時には重要です。
一目置く(いちもくおく)
囲碁では「一目置く」とは言わず「黒を持つ(定先)」と言います。
対局相手に敬意を示し、自分の棋力が相手より劣っていることを潔く認めたことを意味します。
日常でも「相手の能力を認めて、敬意を払うこと」という意味で使われます。
岡目八目(おかめはちもく)
「岡」とは「傍ら」、「目」とは「見る」、「八目」とは「勝負を左右するような大きな利益」を意味します。
「囲碁をそばで見ている人の方が、打っている本人たちよりも状況を冷静に判断できるので、観戦者が言葉を発してはいけない」という意味です。
日常では「第三者の方が、当事者よりも物事の本質や是非を正確に理解し、客観的に判断できる」という意味で使われます。
段違い(だんちがい)
囲碁では対局者同士の棋力(段級位)が大きく異なることを「段違い」と言います。
日常でも「能力・技術・品質などに、非常な違いがあって、比べものにならないこと」という意味で使われます。
【類語】
ハンディキャップ(置き石)が適正でない場合は「手合い違い(てあいちがい)」と言います。
目算・目論見(もくさん・もくろみ)
囲碁では、対局中に対局者が、白、黒それぞれの陣地を頭の中で計算することを「目算」と言います。
目算した結果、形勢が不利であれば、勝負手(リスクを承知で逆転をかけた一手)を探求します。
対局者が形成判断をし、勝負手を企てることが「目論む」の語源と言われています。
日常で「目論見」とは「物事を成し遂げるために企てること」という意味で使われます。
布石を打つ・布石を置く(ふせきをうつ・ふせきをおく)
囲碁の「布石」とは「初手から中盤までの石の配置」のことです。
布石とは、石を打った後の「配置」のことですから、「布石を打つ(置く)」という表現には、少し違和感を感じます。
日常では「将来を見越してあらかじめ手段を講じて配置しておく備え」という意味で使われます。
捨て石(すていし)
囲碁の「捨て石」とは「わざと相手に取らせる石。石を捨てることによって、それ以上の効果を得ること」です。
囲碁には「二子にして捨てよ」という格言があるくらい「捨て石」は重要な考え方です。
日常では「さしあたって効果がなく無駄なように見えるが、将来役に立つことを予想して行うこと」という意味で使われます。
駄目押し(だめおし)
囲碁では、どちらの陣地にもならない領域をダメと言い、終局時に陣地の領域を分かりやすくするためにダメに石を置くことを「ダメ詰め」と言います。
ここから派生して、既に勝負が決まっている時に、さらに勝負を確実にするために念を押すことを駄目押しというようになりました。
野球やサッカーの試合では、勝敗の大勢が決した後にさらに追加点を加えた場合に使われ、駄目押しのホームランとか駄目押しのゴールなどと表現されます。
これは、さらに相手を突き放す展開へと導き、とどめをさすことを意味するようになりました。
中押し(なかおし)
正しい読み方は「ちゅうおし」です。
囲碁において、対局の途中で自ら負けを認めることです。
「投了」と同義語です。
囲碁では試合放棄が美学として認められている珍しい競技です。
スコアブック(対戦表)には「中押し勝ち(ちゅうおしかち)」「中押し負け(ちゅうおしまけ)」と表記されます。
また、野球などのスポーツでは、先制点からリードを保ったまま勝利したとき、途中で追加点をあげることを「中押し(なかおし)」と言います。
【エピソード】
スポーツの世界で「なかおし」と言われるようになったのは、長嶋茂雄氏が「中押し」を「なかおし」と発音して、野球の世界に広めたからと言われています。
相碁井目(あいごせいもく)
「相碁」というのは実力がほぼ同等の二人が打つ「互先(たがいせん)」と呼ばれる打ち方(ハンデなしの真剣勝負)のことです。
「井目」というのは二人の実力に大きな差がある時に、弱い人が初めに九子置いてから勝負するハンデ戦のことです。
対等な条件で碁の勝負ができる人もいれば、ハンデを付けなければ勝負にならない人もいます。
そのことから、「人間の物事には、おのずと力の差があるもので、何事につけ、実力の違いがあるものだということ」を意味するようになりました。
定石(じょうせき)
囲碁の「定石」とは、隅の変化において、主に、白、黒どちらかが相手の石にツケた場合、双方の合理的な折衝で、互角に分かれるための手順のことです。
「定石を覚えて二子弱くなり」という格言があるほど「定石」を理解することは難しいです。
日常では「物事を処理する際の決まったやり方」という意味で使われます。
なお、囲碁の「定石」と、将棋の「定跡(じょうせき)」とは考え方が異なります。

語源の由来には諸説あります。このページに記載されている情報は、個人的な見解に基づくものであり、正確性を保証するものではありません。